企救焼(きくやき)

おはようございます。

アートShinです。

年に一度、お邪魔しています

小倉北区篠崎にあります企救焼(きくやき)様

先日行ってきました。

慶長7年、小倉城藩主細川三斉公が 陶工尊楷を 朝鮮から招き、田川郡福智町上野の地に 上野焼を開窯しました。細川・小笠原藩主の 御庭焼として 多くの茶人に愛用され、江戸中期には、小倉の清水の地に 分窯が造られました。長らく藩の御庭焼として愛されましたが、その分窯は 時代の流れとともに 廃窯し、長らく途絶えていました。その後、昭和31年 時の小倉市長 並びに 文化人の誘致により、上野焼の 熊谷本窯14代龍峰の四男であった 初代光峰が、由緒ある篠崎八幡神宮の裏高台地に 復興の意味を込めて 築窯しました。小倉市長 並びに 文化人の方々から 新たに、豊前国企救郡と言う 古い小倉の地名から『企救焼』の屋号、小倉城の三階菱に由来する 印を頂き、細川・小笠原両藩主御庭焼として 今日に至ります。伝統的な緑釉を 多年に渡って研究し、渋味のある緑青、きめ細やかな土による軽く薄造りの器が特徴です。

 

熊谷光峰二代目、三代目孝司さん、ご家族様と久しぶりにお会いしてきました。

陶芸もひとつ芸術である。

と私は思う。

 

会話の中で経験談話をお聞きして、

自分もまだまだ頑張りが足りないことを実感する場所である。

私が小倉井筒屋で作品展をした際に購入してくれた絵も

飾ってくれています。<(_ _)>

ありがとうございます。